
滝沢市のIさんの家族になり天寿を看取っていただきました(=‘x‘=)
(2009/9/12譲渡 会でのお名前:成猫グレとら シーマちゃん)
下机 様
こんにちは、8年前に、美人黒トラのモモちゃん、
7年前に美しい銀トラのシーマちゃんを
下机さんのご自宅で譲渡していただきましたIです。
元飼い主さんのご病気の都合で
シーマちゃんをお世話するご縁をいただきました。
我が家では縮めて「しま」と呼んでいました。
とても おとなしい猫ちゃんで
丸2年を押し入れを定位置として過ごしていました。
「この子は押し入れが好きなんだな」と、
しまの好きな所で過ごさせました。
家には当時 2歳の息子 10歳11歳の娘、
いずれも皆猫が大好き、
でもしまちゃんにとっては初遭遇の怖い生き物だったのでしょう。
押し入れ中心の生活から2年、
突然しまちゃんがリビングにいるようになりました。
キッチン近くのイスがしまちゃんの定位置になりました。
その時、ようやくしまちゃんに私達が受け入れてもらえたんだな~と安堵しました。
その後は「ひとりが好き」の態度が一変して私にベッタリ、
外出して玄関の鍵を開ける音がすると
どこで寝ていても階段をドタンドタン降りてきて私をお迎えしてくれました。
ここ1~2年は私の足元から離れず、
階段や料理中はかわいいけど怖い思いもしました。
しまには目標20年、しっぽが割れるまで生きるんだよ!
介護はしっかりやるからね!
と毎年毎年言い聞かせていたのに…
1月28日に大好きな猫缶が減っていないのと
いつもはお腹をベロ~ンと見せてソファーでお昼寝なのに
朝からライオンズマンションのライオンみたいな姿勢で
リビングのイスから動かない?
なんだか呼吸も普段と違う気がして、
夕方近くのC動物病院に駆け込みました。
(昨年滝沢市からみたけに引越しました)
肺に水が溜まっていて、抜く手術もできるが、
麻酔中、施術中に死んでしまうこともあるかも と言われました。

水を抜いて検査しないと病気は特定出来ないけれど
心不全か肺がんが原因で水が溜まったと言われました。
何もしなければ、2日後には死んでしまうかも、
途中死ぬ可能性もある治療か、
現在も苦しんでいる状態なので楽にする為の安楽死かこのまま看取るか
突然の選択にどうしたらいいかわかりませんでした。
治療で延命できるならさせてあげたい。
でも途中で死ぬかもしれない。
病院で人見知りの激しいしまは
普段のしまとは思えないほど暴れて泣き叫んで私にしがみついてきました。
延命措置もしない 安楽死もしない
最後は私が看取る事に決心して家に連れて帰りました。
病院から家まで泣きすぎて事故になるかと思いました。

実は、昨年の11月に迷子子猫を保護しました。
(生後1カ月位の子でした)
モモはずっと威嚇していましたが
保護当初からしまが我が子のように可愛がってしまったので
そのまま家の子にしたのですが、
予防接種に連れていった時に病院の先生に
大人先住猫がそんなに早く受け入れる事はありません。と言っていました。
その子はしまの隠し子なんじゃないの?
と皆に疑惑を持たれるくらい子猫をしまは溺愛しました。
猫好きの友人は
「しまちゃんは死期をわかっていて子猫を呼んだんだよ。
自分が死んだら代わりに家族を慰めてねって引き継ぎしたんだよ」と言っていました。
家族にも説明して とにかく お母さんは
これから、しま中心に生活するから!と
なるべく しまをひとりにしないことを決めました。
幸いにも?12月に交通事故に遭ったため
仕事を辞めて自宅療養していたので…
夜はしまのいる場所に布団を敷いてしまから離れませんでした。
苦しいながらも、時々わたしのベッドに登って昼寝したりしていました。

余命宣告1月30日と言われていたしまでしたが、
かっきり30日期限を延長してくれて、
3月2日の朝 虹の橋を渡りました。
1日1日毎に悪くなっていく状態を見ていて、
明日になったら安楽死をお願いしよう。明日になったら…
と 毎日思っていました。
でも やっぱり連れて行けませんでした。
ソファーにおもらししてから 自分でタイルのところに行ってしまって、
絶対ソファーにいようとはしませんでした。
ペットシーツ敷いて大丈夫にしてたんですが…
スプーンでお水やスープ状のフードをあげると、
顔を背けながらも飲んでくれました。
下半身が麻痺してるのに フラフラしながらも自力でトイレに入って
トイレから頭だけ出して何時間もトイレから出てきませんでした。
うんちもおしっこもおもらしするようになってから、
おしりにうんちがついて しっぽにもついて
タオルで拭いても拭いてもきれいにならなくて、
最後は下半身浴してきれいにしました。
普段のしまは8キロあったので
片手で持つことは不可能でしたが、
片手持ちにしておしりを洗ってあげたら、気持ちよかったのか、
お風呂嫌いのしまがおとなしくしていました。
おしっこを漏らすようになってから、水をガブガブ飲み始めました、
今までスプーンで一滴ずつだったのが、
水皿に顔を突っ込んでガブガブ飲みました。
買い物に行く度、学校に迎えに出る度に
家に帰ったら しま 冷たくなっていたら どうしよう と いつも 考えていました。
寝る前と朝、学校に行くとき、子どもたちに
しま 今日で最後かもしれないから
声かけて 撫でて行って、って
毎日言っていたのに、
あの2日の日だけ バタバタしていて 誰もしまに
家を出る前に声をかけませんでした。
下の娘を学校に送って
家に帰ったら しま 死んでました。
吐いて おしっこして
まだ 温かかったです。
お風呂できれいに洗ってあげたら、
いつも通りのふわふわのかわいいしまになりました。
しまの大好きだった リビングを見渡せる階段の飾り棚に寝かせました。
ただ、お昼寝してるみたいで、
「しま」って呼んだら 返事しそうで
なんで もう少し早く帰らなかったんだろう
1人で寂しく旅立たせてしまいました。
結局 しまを苦しめた挙げ句寂しく死なせてしまいました。
1月の半ばまでは、まったく元気で
朝 声もあげず ひたすら私に顔を近づけて無言プレッシャーでカニカマのおねだり
私が仕事や買い物から帰ると 必ず玄関へお迎えに
洗濯干すときも必ず足下にいて、階段すっごくあぶなかった
お風呂までついてきて 本当に困って
しまは、よくなめてくれるんだけど、舌のザラザラはおろし金みたいで激痛
しまの好意を拒否するのはかわいそうと
10なめり がまんする事に家族で決定
頭はまだしも顔は痛くてしんどいから
顔なめりは 5なめりまで我慢に
法改正

息子はしまと寝たがるけど、寝相の悪い息子と寝たくないしまは、
息子が寝ると速攻私のところにもぐってきました。
もっと もっと一緒にいたかった
もっともっとかわいがってあげたかった
モモもかわいいけど
やっぱり しま は 私には特別な子でした。
しまは家で楽しかったかな?
息子はまとわりついて、うるさかっただろうけど、
息子が寝てると、よく頭 なめてくれてました。
「おかあさん、わたしね。動いてる息子さんは苦手なんですけと、
寝てる息子さんは好きなんですよ♪」
なんて 言うように息子の髪グルーミングしてくれてました。
最後の最後に1カ月も苦しませて、あげく
1人で死なせて怒っているかな
前の飼い主さん と会えたかな
シーマってほんとの名前で呼んでもらっているかな
しまと過ごした7年 毎日幸せでした。
でも もっといっしょにいたかった。
しまの看病していた時は しまと少しでも離れていたくなくて、
しまのスープごはんを速攻買って帰る状態でしたが、
もう スープ必要ないんだ…と ゆっくりペットコーナー見ていたら
介護用のペットオムツを発見
ああ こういうのもあったんだ
知らなかった。
しまに使ってあげれば良かった。そうすれば、もうちょっと…
しまは選んで 3月2日に旅立ったのかな?
一週間後は娘の高校受験日
ショックを引きずらないように、でも あんまり早すぎないように…
今でも ずっと後悔しています。
一か八かで手術してもらえば良かったのか、
1カ月も苦しませるなら安楽死させてあげた方が幸せだったのか
どっちも選べず、結局ひとりっきりで寂しく死なせてしまいました。
先生にもっと前から症状が出ていた筈と言われましたが、
おとなしい猫ちゃんで基本1日中寝ている子だったので
恥ずかしい話ですが、まったくわかりませんでした。飼い主失格ですね。
里親募集や譲渡会も参加しようと何度も思いましたがなかなか決心がつきません。
しまにそっくりな子を探しながら
似ている子はつらいと
考えたり。
長々とすいませんでした、せっかくしまちゃんをお世話させていただいたのに
こんな形で亡くならせてしまって申し訳なく思っております。
※しまちゃんの元気な頃と隠し子疑惑の猫ちゃんの画像数枚添付致します。
会です
シーマちゃんは、病に倒れた飼い主さんから託された
大切な愛猫
どうかしあわせにと願ってきました。
辛い日々を一生懸命に看病いただき
シーマちゃん、良いご縁をいただいたね。
ご家族皆に辛い思いさせないように
お星様になっていったんだね。
最後を看取っていただきまして感謝に絶えません。
本当にありがとうございました。
シーマちゃんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
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